授業レポート

加藤博文先生 札幌北高出張講義

2016年10月20日(木) 15:50~17:20

「小さな島からグローバルヒストリーを見る-礼文島に残された4000年の歴史-」と題して講義がありました。札幌北高校の生徒さん20名が参加しました。まず礼文島の紹介です。礼文島は観光地ですが、考古学からみた礼文島の話です。縄文文化以降に人が生活していて、人が繰り返しやってきて、人々は島の資源を有効利用して生きてきたということが分かる、プロジェクト経費をもらって研究を進めているという話がありました。さらに日本の歴史は1本だけではない、ホモサピエンスとネアンデルタール人が共存していた時代があった、クマは地球の各地域の違った種が存在している、ヒトは1種のみ、ヒトは体温調節機能は持っていないが、環境に適応し生活を快適にする活動を行ってきたという話があり、先生たちは、どのように暮らしていたのか知りたい、どんなことを考えていたのか知りたい、独自の歴史があったのだろう、サハリンが日本の領土だった歴史がある、サハリンには3つの集団がいた、言語も孤立言語だった、狩猟、漁業、遊牧などいろんな生活の仕方をしていた、いつからどんな起源なのか分からないという説明がありました。
 次に礼文島の遺跡調査についての話です。貝塚遺跡で、今年の夏に4mの深さ、3,500年前、縄文時代の後期まで掘り下げた、土器、石器、骨格など、いろいろな情報が詰まっている、炭素C14を調べると年代がわかる、骨からも年代がわかる、DNAを抽出することができる、骨から何を食べていたのかもわかる、離乳したのかもわかる、土の中の花粉も調べる、地層から気候もわかる、あわびの貝の横に鉄のナイフが折られてあった、ものに対する敬いがあった、あらゆるものにカムイが宿るという思想があった、犬はヒトとの友好性をもったものが残ってきた、礼文島のイヌがどこから来たのかわかる、同位体を調べることで何を食べていたのかわかる、イノシシとブタを調べた、ブタは大陸から持ち込まれた、ブタは雑食で放牧されていた、アイヌの人はブタを飼う習慣はない、イヌは人間と同じように海のものを食べていたことがわかるという説明がありました。次に貝塚の話です。ここからお墓が見つかる、貝塚からクジラの頭が見つかった、この上には(1300年前)、何かの儀式が行われ、いろんな海の案物が持ち込まれ貝塚ができた、貝塚は意図的にものを集める場だった、(48分)浜に打ち上げられたクジラの頭で儀式が行われた、その上にいろいろなものが繰り返し投げ込まれたという説明がありました。
 次に、DNAの話です。40代の女性の骨が見つかった、土壌が砂で冷涼なので骨が良い状況で残っている、DNAを調べてもらった、塩基配列が残っていることが分かった、ミトコンドリアのDNA、グリーンランドのエスキモーの髪の毛のDNAを調べた例があった、性別、目の色などが分かるという説明がありました。
 遺跡の近くの湖でボーリングをした、泥堆積物を調べた、1万6000年前位のものと分かった、花粉が入っていた、この時の島の環境を知ることができる、人口が増えることによってどんな影響があるか、森林の量に影響する、中世の温暖期(鎌倉時代)にあたる、(江戸時代は寒い時期)礼文島に海洋民がやってきた、ヨーロッパではバイキングの時代、バイキングの村は北極圏まであった、礼文島の現象も地球規模の動きの一つと言えるという説明がありました。
 アイヌの人たちの話では、アイヌの人にクマ送りの儀礼がある、子ぐまを連れ帰って育てて神に返す、海の動物の頭が並べられている、トドやアシカの頭に穴を空けている、飾りをつける、アイヌのクマ送りの儀式を同じ空け方、アイヌの文化は縄文時代まで遡ることがわかるという説明があり、さらに、縄文時代からの文化の流れを見ることが大事、礼文島の文化は南と北から来る、文化のクロスロードと言うことができる、2016年の夏、いろんな国の学生が参加してくる、フィールドスクールへ、礼文島でデーターを集めて学位論文をとる、高校生も参加している、人形劇や版画を使ったストーリーづくりを通して一般の人に伝える取組みをしている、北海道は北への入り口といえる、礼文島をぜひ訪れて欲しいということばで、先生の授業は終えました。生徒さんからの質問は、鉄はどこから伝わってきたのか、寒冷地の人間の体温はどのように調節しているのか、アシカはいなかったのか、犬の大きさはどうだったのか、などたくさんの質問が出ていました、実際に礼文島で出土した骨や土器などについて平澤先生による解説がありました、生徒さんは手にとるなど観察して今日の授業は終えました。

授業風景その1
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授業風景その3
授業験風景その4
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